8月6日とは


今日はヒロシマの原爆の日です。
私が小学生のころは夏休みの中でも8/6は必ず登校日であり、蝉の鳴く暑い校庭に全員で整列し黙とうを捧げたものでした。
これが日本人として当たり前のことだとばかり思っていたのですが、広島県だけのイベントだということを知ったのはずいぶん経ってからのことです。
祖父はこの戦争で南方の海で亡くなり、祖母は女手一つで3男1女を育て、相当苦労したようです。
自分たちの家を建てることが一家の目標だったらしく、初めて建てた家はこれ以上上には民家がないほど山の上。
見晴らしは良かったような気がしますが、歩くしかない細い道は大そう不便でした。
それにもかかわらず節約のため冷蔵庫も買わず、私もつるべ井戸やポンプ式の井戸水を汲むために蛇の出る山道を歩いた記憶があります。叔父たちも社会人になると全員給料を差し出し、とにかくみんなで協力し節約して暮らしたようです。
私が保育園に通うころには山を下り町に引っ越しましたが、小さな家に7人で住み、電話もなくてお隣にお借りする生活だったことを薄っすら覚えています。
三つ子の魂百までと言いますが、この生き方は基本的に今でも変わりません。倹約といえば言葉は良いけれども、私が私立の学校に行くことを渋った父を昔は「本当にケチな人だ」と思っていました。
それというのも戦争で一家の主を亡くしたことが全ての始まりなのです。
戦争とは何もかもを奪うひどい時代でした。
現在、私たちは普通の暮らしをできているだけで、生きているだけでありがたいと感謝すべきなんだろうなあと思います。
様々な日常の嫌なことや苦しいこと、悩ましいことなど吹き飛んでしまうような戦中、戦後のことを思えば、私は苦労知らずというしかありません。