まさに無謀だった


初めてアメリカの地を踏んだのは1992年。
オートバイ一人旅を思いつき、格安チケットを購入。
ところが渡航直前に起きたロス暴動、ビクビクしながらのLA入り。
国内のパック旅行などは全てキャンセル状態だったのになぜ行ってしまったか?
乗り合いタクシーでリトル東京に向かう車窓からは焼け焦げたガソリンスタンド、壁には「black own」の文字。
新聞で見た火柱の上がった街の様子が頭に浮かぶ。
日本で契約したオートバイ屋さん「Little Tokyo motor cycle shop」に到着。
以前、日本在住だったという中国人オーナーTADさん、日本語にホッとした。
予約した宿に着いたとたん発熱、TADさんに連れて行ってもらった病院で熱を測る。
看護師さんに何度あったか?と片言で尋ねると、「103度」との返事。
「沸点超えてるじゃん!いや、それは華氏でしょ。摂氏は英語で何て言う?」
ぼんやりした頭で悩みながら枕に沈んだ私なのだった。つづく