「待つ」ということ

TS3W1170
以前の私は現在よりも思ったことをすぐ口に出していました。
相手が上司であっても腹が立つとすぐ態度に表し、それが当たり前で正しいことだ!と。
我慢している人は100%「勇気がない人だから」であり、私は「勇気があるから言えるのだ」と思っていました。(笑)
昔の同僚の中に一人、無口な上に感情をあまり態度に表さない人がいました。
文句も言わず、いつも一人で過ごしていて本当に何を考えているのか皆目見当がつかず、不思議な(変った)人だなあといった印象。
やがてその同僚に本を貸してもらったり、休日に一緒に出掛けたりするようになりました。
借りた本を読んでみると、不思議に思えたその人のことが分かり始めたような気がしたのです。
例えばムッとするような出来事があっても「何か理由があるかもしれない」と「待つ」努力をするようになりました。
もちろん100%できるわけではなく、少しずつですけれども。
「待つ」ということは、怒りを消したり鎮めたりできる魔法のようなことで、結果として怒りを表現しなくて良かった!ということが何度も起こりました。
以後、現在に至るまで「待つ」ことを試している私です。
もちろんすぐに何かの返事をしなくてはならない時は即決ですが、おかげでちょっとだけ失言も減ったのではないかと思っています。
これを「慎重」ともいうのでしょうが、トシを重ねる道程の一つと言えるのかもしれません。
もっと生きたらどのように変化していくのか自分の心の中を観察していたいと思います。